世界遺産の登録が13番目に多いブラジルの世界遺産についてメル マガで
まとめてみたいと思います。23か所
1. 古都オウロ・プレト (1980)
2. オリンダ歴史地区 (1982)
3. グアラニーのイエズス会伝道施設群:サン・イグナシオ・ミニ、
サンタ・アナ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート、サンタ・
マリア・ラ・マジョール(アルゼンチン)、サン・ミゲル・ダス・
ミソオエス遺跡群(ブラジル) (1983, 1984)
4. サルヴァドール・デ・バイア歴史地区 (1985)
5. ボン・ジェズス・ド・コンゴーニャスの聖所 (1985)
6. イグアス国立公園 (1986)
7. ブラジリア (1987)
8. カピバラ山地国立公園 (1991)
9. サン・ルイス歴史地区 (1997)
10. サウス-イースト大西洋岸森林保護区群 (1999)
11. ディアマンティーナ歴史地区 (1999)
12. ディスカヴァリー・コースト大西洋岸森林保護区群 (1999)
13. パンタナル保全地域 (2000)
14. 中央アマゾン保全地域群 (2000, 2003)
15. ゴイアス歴史地区 (2001)
16. セラード保護地域群:ヴェアデイロス平原国立公園と
エマス国立公園 (2001)
17. ブラジルの大西洋諸島:フェルナンド・デ・ノローニャと
ロカス環礁保護区群 (2001)
18. サンクリストヴォンの町のサンフランシスコ広場 (2010)
19. リオデジャネイロ:山と海の間のカリオッカの景観 (2012)
20. パンプーリャ近代建築群 (2016)
21. Valongo Wharf Archaeological Site (2017)
22. Paraty and Ilha Grande Culture and Biodiversity (2019)
23. Sitio Roberto Burle Marx (2021)
Markは1985年から1987年までブラジルに2年間駐在し てましたので、
国内の旅行は主だったところ(イグアスの滝は3度、アマゾン川、
リオのカーニバル、サンパウロ、サントス、マナウス、ブラジリア 、
サルバドール、クリチバ等)には行ったと思いますが、当時は
世界遺産を見るという意識はなかったので、個々の世界遺産は
あまり見ていません。
世界遺産を見たと思うのは、4,6,7,14、19で、ブラジル にいた
時に行ってみたかったのは、13のパンタナルで、今行きたいのは
世界遺産ではないですが、レンソイス 純白の砂丘が生んだ神秘です。
イグアス滝は住んでいるところから車で4時間ぐらいで行けたので 、
自分で観光に行く以外にアテンドで2度ほど行きました。ナイアガ ラの
滝も見ましたが、世界一の滝といえばやはりイグアスの滝です。
大阪からサンパウロに行くにはLATAM航空グループ、ユナイテ ッド等の
アメリカ経由ですが、Markのようにアメリカに経由ができない 人は
Airカナダという手もあります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━
■■■ ブラジルの思い出 ■■■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━─── ─━━━
ブラジルではバラナ州ポンタグロッサに工場があったので、管理部 門の
責任者として会社3年目に2年間駐在しました。ビザの関係で役員 待遇で
行ったので、一経理課員であったのに、部下が10人くらいいて会 社の
すべての業務を学ぶことができました。
当時はインフレが年に400%という超インフレーションの社会で 、
会計もインフレ会計、管理部門が1日でも余裕資金の運用を
しなかったら1か月分の従業員の給料が吹き飛ぶ過酷な状況でした 。
毎日運用するオーベルナイトというものがあり、運用の比較は全て
日歩に換算して行い、Log対数が使えないとその日歩計算もでき ない
くらい管理部門が重要でした。
当時は、ブラジルは金持ちが10%、中流が20%、70%が貧民 と
いう格差社会で、当時日本円で30万円くらいの給料でしたが、物 価は
日本の1/10くらいだったので、実質毎月300万円くらいの給 料を
もらっている感じで、買えないものがないくらいいい生活で、毎週 末
遊びに行ってました。
ブラジルはひったくりやコソ泥が多く治安は最高に悪かったですが
(Markはピストルも持ってました)、日系人がブラジル社会に 貢献
されていたこともあり、この顔であれば善良なブラジル人
(ボンジーニョ)として扱われ差別をされたことも被害にあった
こともありませんでした。
(その後アメリカに駐在した時、アメリカがなんて治安がいいと
思ったほどでした。)
言葉は2年間では身につかず、仕事上は日系人を雇っていたので、
仕事はほとんど日本語で、ポルトガル語を話すのは夜のみでした。
インフレがすごく(朝と夜でモノの値段が変わるほど)お金で持っ て
いても減価するので、休みの日は土産物ばかり買い漁ってました。
日本に帰ってきてサラ金はかわいいものと思いました。
インフレの怖さは、月12%と14%の2%の違いですが、年利に
すると方や400%と700%と3倍以上の違いになります。また 、毎月
決まった%が上昇すると簡単ですが、半年間価格は変わらず、
その後2倍とかになったりするので、インフレのない現在の世界と は
異次元と思わるほどの違いを感じたものでした。
まとめてみたいと思います。23か所
1. 古都オウロ・プレト (1980)
2. オリンダ歴史地区 (1982)
3. グアラニーのイエズス会伝道施設群:サン・イグナシオ・ミニ、
サンタ・アナ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート、サンタ・
マリア・ラ・マジョール(アルゼンチン)、サン・ミゲル・ダス・
ミソオエス遺跡群(ブラジル) (1983, 1984)
4. サルヴァドール・デ・バイア歴史地区 (1985)
5. ボン・ジェズス・ド・コンゴーニャスの聖所 (1985)
6. イグアス国立公園 (1986)
7. ブラジリア (1987)
8. カピバラ山地国立公園 (1991)
9. サン・ルイス歴史地区 (1997)
10. サウス-イースト大西洋岸森林保護区群 (1999)
11. ディアマンティーナ歴史地区 (1999)
12. ディスカヴァリー・コースト大西洋岸森林保護区群 (1999)
13. パンタナル保全地域 (2000)
14. 中央アマゾン保全地域群 (2000, 2003)
15. ゴイアス歴史地区 (2001)
16. セラード保護地域群:ヴェアデイロス平原国立公園と
エマス国立公園 (2001)
17. ブラジルの大西洋諸島:フェルナンド・デ・ノローニャと
ロカス環礁保護区群 (2001)
18. サンクリストヴォンの町のサンフランシスコ広場 (2010)
19. リオデジャネイロ:山と海の間のカリオッカの景観 (2012)
20. パンプーリャ近代建築群 (2016)
21. Valongo Wharf Archaeological Site (2017)
22. Paraty and Ilha Grande Culture and Biodiversity (2019)
23. Sitio Roberto Burle Marx (2021)
Markは1985年から1987年までブラジルに2年間駐在し
国内の旅行は主だったところ(イグアスの滝は3度、アマゾン川、
リオのカーニバル、サンパウロ、サントス、マナウス、ブラジリア
サルバドール、クリチバ等)には行ったと思いますが、当時は
世界遺産を見るという意識はなかったので、個々の世界遺産は
あまり見ていません。
世界遺産を見たと思うのは、4,6,7,14、19で、ブラジル
時に行ってみたかったのは、13のパンタナルで、今行きたいのは
世界遺産ではないですが、レンソイス 純白の砂丘が生んだ神秘です。
イグアス滝は住んでいるところから車で4時間ぐらいで行けたので
自分で観光に行く以外にアテンドで2度ほど行きました。ナイアガ
滝も見ましたが、世界一の滝といえばやはりイグアスの滝です。
大阪からサンパウロに行くにはLATAM航空グループ、ユナイテ
アメリカ経由ですが、Markのようにアメリカに経由ができない
Airカナダという手もあります。
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■■■ ブラジルの思い出 ■■■
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ブラジルではバラナ州ポンタグロッサに工場があったので、管理部
責任者として会社3年目に2年間駐在しました。ビザの関係で役員
行ったので、一経理課員であったのに、部下が10人くらいいて会
すべての業務を学ぶことができました。
当時はインフレが年に400%という超インフレーションの社会で
会計もインフレ会計、管理部門が1日でも余裕資金の運用を
しなかったら1か月分の従業員の給料が吹き飛ぶ過酷な状況でした
毎日運用するオーベルナイトというものがあり、運用の比較は全て
日歩に換算して行い、Log対数が使えないとその日歩計算もでき
くらい管理部門が重要でした。
当時は、ブラジルは金持ちが10%、中流が20%、70%が貧民
いう格差社会で、当時日本円で30万円くらいの給料でしたが、物
日本の1/10くらいだったので、実質毎月300万円くらいの給
もらっている感じで、買えないものがないくらいいい生活で、毎週
遊びに行ってました。
ブラジルはひったくりやコソ泥が多く治安は最高に悪かったですが
(Markはピストルも持ってました)、日系人がブラジル社会に
されていたこともあり、この顔であれば善良なブラジル人
(ボンジーニョ)として扱われ差別をされたことも被害にあった
こともありませんでした。
(その後アメリカに駐在した時、アメリカがなんて治安がいいと
思ったほどでした。)
言葉は2年間では身につかず、仕事上は日系人を雇っていたので、
仕事はほとんど日本語で、ポルトガル語を話すのは夜のみでした。
インフレがすごく(朝と夜でモノの値段が変わるほど)お金で持っ
いても減価するので、休みの日は土産物ばかり買い漁ってました。
日本に帰ってきてサラ金はかわいいものと思いました。
インフレの怖さは、月12%と14%の2%の違いですが、年利に
すると方や400%と700%と3倍以上の違いになります。また
決まった%が上昇すると簡単ですが、半年間価格は変わらず、
その後2倍とかになったりするので、インフレのない現在の世界と
異次元と思わるほどの違いを感じたものでした。
出典:ジャパンタウンを世界につくろう Vol.301 <2023年10月21日>